日本における博士号の意味合い

本日、5月2日付けの日経の一面トップ記事が気になる内容でした。
以下はその一部です。

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「低学歴国」ニッポン 革新先導へ博士生かせ : 日本経済新聞 (nikkei.com)

日経の記事、最近 とみに表面的になってきた気がします。
ただ、ちょっとうがった見方ですが、日経の記事が軽薄になってきたのではなく、私が自分なりの意見を持つようになり、その結果、記事の深さが足りなく感じるからではとも思います。

さて、今朝の日経の、日本における博士号の件、課題着眼はまさに私の危惧と一致しています。
ただ、博士の数が減っていることが問題ではなく、真髄は、
  博士を必要とする高度なビジネスが少ないこと
また
  専門性の高い博士が次なる活躍の場に横スライドできる社会的な仕組みがないこと
が課題と考えます。
博士に求めたれる業務は、いわゆる日本的雇用には合わず、日本以外での標準であるJOB型でないという社会の仕組みも課題であり、そこまで踏み込まないと日経記事のような表面的な「博士の数を増やせ、企業は博士が活躍する場を作れ」の論調で終わります。なお、この記事は連載企画の一回目ですので、今後このような視点での論説が続くのかもしれません。

<学生さん、若い方へのコメント> 
終身雇用などの日本流の慣行が崩れていく今、やる気があれば何も怖くない。
あなた方の活躍の場は 全世界、どこでもニーズがあります。

結論; 
日本の社会基盤そのものを変えないと変わらない。
結局は、日本の特殊性、以前はそれがグローバルでも競争力だったのですが。
それが今のグルーバル競争力ではなくなった言うことです。